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日時: 平成22年5月31日(月)
場所: 東京ガーデンパレス
議長: 理事長フミ・ササダ氏(第1号・第2号・第3号議案)
司会: 原田祐助氏(ポーラ化成工業株式会社)

■通常総会
14:30 〜 16:10 2F「天空(B)」

 

●第1号議案
 平成21年度事業及び収支決算報告承認の件
●第2号議案
 平成22・23年度役員(理事・監事)承認の件
●第3号議案
 平成22年度事業計画(案)及び収支予算(案)承認の件

1号議案は531名、2号議案は535名、3号議案は535名の承認を得て可決されました(出席者の違いによる)。
(内訳:出席者開会時44名・1号議案47名・2号議案51名・3号議案51名/書面表決状453名/委任状31名)

 
■表彰式
16:20 〜 16:55 2F「高千穂(B)」

顕彰規定により2社とお一人が表彰されました。
選考は理事会にて行い、2年に1回の表彰となります。
トロフィーデザインは鹿目尚志氏に、ケースとプレートは川路ヨウセイ氏にご協力いただきました。

●パッケージデザイン功績賞2010


サントリービジネスエキスパート株式会社 デザイン部 殿と、株式会社資生堂 宣伝制作部 殿が選ばれました。
サントリー殿・資生堂殿は共にJPDA創設の1960年から、長きに亘り法人会員として協会に貢献くださいました。また、現在、サントリー殿は東京を拠点に活動されておられますが、両社は長年に亘り、東の資生堂・西のサントリーと評され日本の宣伝広告及びパッケージデザインの双璧として活動されてきています。
両社の表現力・提案力は常に日本のパッケージデザイン界に刺激を与え続けると共に、パッケージデザインの地位向上にも貢献されてきました。また、昨年5月には東京芸術大学において資生堂・サントリー合同の商品デザイン展を開催され、広く一般の人々にパッケーデザインの魅力・重要性を強く印象づけ、アピールしてまいりました。
これらの功績に対し「パッケージデザイン功績賞2010」を贈ることに決定しました。

 







  ●JPDA貢献賞2010
株式会社アド・クリエーター 代表取締役社長 和田 亨氏が選ばれました。
和田氏は、理事を1982年〜89年までの4期務められ、その間を含め次の活動を通してJPDAに多大な貢献をいただきました。
1つ目は、「パッケージは最大の消費文化である」これを記録として残すことは非常に重要であるとの認識に立ち、1985年に「年鑑日本のパッケージデザイン」の第1号を発刊されました。作品に関しては公募形式のコンペで募集し、入賞作品以外の作品もすべて記録に残されました。
2つ目は、会員拡大に伴い「顔の分からない会員」が多くなったことから、会員同志のツールとして「名刺代わりの作品集」として1988年に会員作品集を発刊されました。この年鑑と会員作品集は隔年の発刊で、現在のJPDA出版の柱事業となっています。
3つ目は、故山本良一氏と共にパッコロジー(パッケージ+エコロジー)研究を西武流通グループの協力を得て推進し、1975年に報告書に纏めておられます。
1つ目は、日本包装技術協会の要請を受けて1983年にパッケージデザイン教育で中国(上海、青島)を訪問し活躍されました。
これらの貢献に対し「JPDA貢献賞2010」を贈ることに決定しました。

 
■記念講演会
17:00 〜 18:00 2F「高千穂(B)」

講師:株式会社アド・クリエーター 代表取締役社長
   和田 亨氏
「JPDA初期発展期の想い出
   (怖さ知らずの企画と行動)」

司会:松澤由紀子氏
   (凸版印刷株式会社)

出席者:100名
 

 

 
■懇親会
18:10 〜 20:00 2F「高千穂(A)」

司会:原田祐助氏
   (ポーラ化成工業株式会社)
   松澤由紀子氏
   (凸版印刷株式会社)

出席者:92名

挨拶:フミ・ササダ理事長

挨拶・乾杯の音頭:加藤芳夫副理事長

ご来賓挨拶:
川崎芳孝氏
(特許庁 審査業務部意匠課 課長)
淺香 嵩氏
((社)日本インダストリアルデザイナー協会 理事長)
日比野 香氏
((社)日本デザイン保護協会 専務理事・事務局長)

中締め:鹿目尚志氏
 


 

 

 

 
【記念講演】

「JPDA初期発展期の想い出(怖さ知らずの企画と行動)」
2010.05.31
於:(社)日本パッケージデザイン協会 第29回通常総会

株式会社アド・クリエーター 代表取締役社長 
和田 亨氏

和田氏 略歴
・1935年9月20日・東京生まれ・今年74歳。
・1955年3月に都立・工芸高校・印刷課卒業。
・1961年3月に東京芸大・美術学部・図案計画科卒業。
・1961年4月にカルピス食品工業株式会社入社 広告部制作勤務。
・1965年4月に株式会社アド・クリエーター設立 現在に至る。
JPDA活動歴
・1970年  入会。
・1974〜75年 「パッコロジー研究会」。
・1975年 「デザイン料金に関する考察」「日本広告技術協議会(NAAC)」担当委員。
・1977年 「第1回NAAC展」企画進行、広報委員。
・1982年  理事に推挙され出版を担当。「日本パッケージデザイン協会作品集」自費出版形式。
      中国軽工業省(日本では通産省の位置づけ)と「日本のパッケージデザイン:中国と
      の対比」の出版企画の打合せのために中国へ渡航。
・1985年 「年鑑日本のパッケージデザイン1985」発行。同時に授賞式とパーティを行う。
・1987年 「会員作品集MEMBER’S WORK TODAY」発行。
・1988年 「年鑑日本のパッケージデザイン1989」発行。
・1989年 「会員作品集MEMBER’S WORK TODAY」発行。

<講演内容の要旨>

♦パッコロジー研究
 (故・山本良一氏と共に)
高度成長期の最中、1950年代後半から1970年代にかけて江東区と杉並区の間で起きたゴミの処理・処分に関する紛争、いわゆる美濃部東京都知事が宣言した「東京ゴミ戦争」や、当時各地で持ち上がった「公害問題」を基点に、故・山本良一氏と取り組んだのが「パッコロジー研究」です。私の記憶ではゴミのカサで3/4が包装ゴミであり、パッケージデザイナーとしてこの問題を見過ごしにしておく訳にはいかず、何らかの解決策を見いだそうと言うことになりました。その方策の一つとして包装ゴミを単なるゴミとして破棄するのではなく原材料に戻すことで、環境や地球資源の保全に役立てる、つまりエコ活動によって貢献しようということになり、名称を「パッケージ+エコロジー」で「パッコロジー」研究としました。
この「パッコロジー研究」は、当時西友ストアのPB(プライベイトブランド)に携わっていた山本氏の強力な援護で西武流通グループの経済的支援を得ることが出来、また、芝浦工業大学を加えた産学共同研究としてスタートしました。
研究の第一ステップはパッケージをエコロジカルに把握するための基礎研究として、包装ゴミの回収と処理システムの研究・パッケージ素材の再生システムの研究を行いました。第二ステップは流通コスト削減への取り組みで、JRのコンテナ(混載)輸送への切り替えによるコストダウン事例を参考に、メーカー(物作り)・店舗(陳列を含めた店作り)・家庭までを巻き込んだシステム作りとして、家庭用冷蔵庫を基準にパッケージを60種類に規格化(分類)することで、過剰包装への歯止めや包装のスリム化での効率の良い収納による消費電力の節約と物流コストの削減等に取り組もうとしましたが、実行にかなりの費用がかかることとその後の経済的支援が無かったために未実施に終わりました。
後で分かったことですが、この時期にドイツでは基本法に基づいて環境保護への積極的な取り組み(グリーン革命)が行われていたようです。

♦デザイン料金に関する考察
次のチャレンジはデザイン制作料金の基準作りでしが、これは公正取引委員会のカルテル防止法に抵触することが心配されることから、一考察に止めることとしました。
研究は「料金が発生する仕事とは何なのか」「デザイナーはどんな技能・能力を持つべきなのか」そして「価格はどんな構成要素から成り立っているのか」と言った基本的な問題を原点に戻って解析し、その基盤・理論を組み上げることから作業に取りかかり、最終的にはパッケージデザイナーの平均像を産業別平均モデルとの比較において見ることとしました。
90名弱の会員アンケート結果から出てきたパッケージデザイナーの平均像は、男子・大卒・36才・勤続年数14年・扶養家族2.5人モデルとなりました。この協会モデルを産業別・職業別・役職別等の平均値のなかで、協会モデルに近似したクラスで賃金等を比較参照しました。ただ、前述したとおりJPDAでデザイン制作料金を決めることは出来ませんので、これらのデータを参考にして会員個々に決めてもらうことにしました。
このJPDAでの検討成果が評価されて、JAGDAでデザイン制作料金策定に携わりましたが、業種別・デザイン仕様別(個装・外箱・輸送箱等)・売上の多少・販促の有無・継続性の有無等の各計算式に当てはめることでデザイン制作料金を算出する方法をとりました。但し、ここでも個人の熟練度(仕事のレベル)は個々に判断してもらうことにしましたが、デザイン制作料金策定のモノサシにはなったのではと自負しています。記憶が定かではありませんが、当時、東京の制作会社連盟の料金査定体系が相場を知る上で参考になったと思います。
JPDAには法人会員もおられるので、制作料金策定のモノサシ作りはやりたいと未だに思っているところです。

♦年鑑日本のパッケージデザインのこと
次に、いよいよ年鑑の話になりますが、その前に少し中国の話をします。
鹿目さんたちが「日本のパッケージデザイン ヨーロッパとの比較」を出版されたのが刺激になって、「中国との比較」を出そうと試みたことがあります。
日本包装技術協会からの依頼を受けて中国にデザインを教えに行きました。それは、日本に商品を売り込むためのデザインではなく、世界に散らばった華僑のためにデザイン教育をしようという目的でしたので、日本には影響がないだろうと言うことで引き受けました。その時、通産関係の中国高官に「日本のパッケージデザイン 中国との比較」制作を打診しましたが、その答えが「中国はいくら儲かるのだ」ということに対して即答が出来ず、翌日に回答をして一応の了解を得ましたが、それから半年くらいなしのつぶてで、この企画は実現されずおしまいになりました。その後、この話を復活させようという動きが中国側からありましたが、時すでに遅しと言うことでそのまま打ち切りになりました。
この後にチャレンジしたのが「年鑑日本のパッケージデザイン」になります。当時、日本伝統文化○○協会の会長から「パッケージは消費文化の最たるものである」と言うことで、これを保存することは非常に重要である、と言うサゼッションがありました。しかし、現物での保管は難しく本に纏めることが一番だろうと言うことになりました。当時、オリジナルパッケージはパッケージではないと言われましたが、チャレンジ性が高く新しいパッケージの可能性を含んでいることから試作品も対象にしよう、機能性に優れたパッケージやビジュアルに優れているパッケージも対象にしようと言うことになりました。また、お金はないけど印税は欲しい、写真家は誰々にして欲しい、校正は我々でやる、買いやすい価格にして欲しい等いろいろ難しい条件をあげましたが、六燿社の橋本社長の絶大な協力を得て無事出版にこぎ着けることが出来ました。一番難しかったのが審査方法でした。最初は「全員審査」でスタートしましたが、会場確保の問題、会場のスペースの問題、スタジオの問題、会員の集まりの問題等があり、翌年は「写真審査」に切り替えましたが、今度は「デザインの善し悪し」よりも「写真技術の善し悪し」が評価を大きく左右することが分かり、3回目からは現在と同じ「会員の選挙で審査員を決める」方法になりました。なお、外部審査員に関してはJPDAのお手盛りにならないように、最初から参加いただきました。また、校正を出品者各自にお願いしたことで間違いを皆無にすることも出来ました。なお、当時は景気も良くて協賛金の集まりは良かったように記憶しています。

♦会員作品集のこと
最後は会員作品集“Member's Work Today”の話になります。1960年創設時の会員数が47社(者)、私の入会した1970年が135社(者)、会員作品集を出版した1986年が560社(者)ぐらいでした。このように会員が拡大する中で、「顔の分からない会員のため」に会員の作品集を出版しようと言うことになりました。当時、出版委員会担当理事として「デザインの本」が売れるのかどうかを検証したいという課題も持っていましたので、八尾理事長に相談して出版することになりました。当初、費用的にカラーは無理ではないかと思われましたが、名古屋の印刷所の見積もりではカラーでもOKになり、発売後の売れ行きは好調で再版の希望もでるほどでした。
前述の「年鑑日本のパッケージデザイン」と「会員作品集“Member's Work Today”」が、現在の出版事業の礎になっていると言うことで、今回、図らずも「JPDA功績賞」を受賞することが出来ましたこと、大変光栄に思っています。ありがとうございました。
(この後、講演会に出席くださった若い会員のために、パワーポイントで初期の年鑑等から代表作の紹介がありました。)