Vol.5 星条旗

私の初めての海外旅行はニューヨークでした。ワールドトレードセンターの展望台に登り、自由の女神像が遙か下に米粒のように見え、その高さを改めて実感したことが昨日のことのように思い出されます。今年の8月、IDSA(アメリカインダストリアルデザイナー協会)の会議でボストンへ向かう機中から、ほんの少しでしたが久しぶりにマンハッタンの摩天楼を垣間見ることができました。その一部が今や瓦礫の山となっているとは未だに信じがたい気がします。

9月11日にニューヨークやワシントンDCを襲ったテロ事件のニュースは、遠く離れたここロサンゼルスにも大きな衝撃を与えました。最初の飛行機がワールドトレードセンターに激突したのは現地時間の朝9時前。東海岸とは3時間の時差があるLAは、まだ辺りは暗い早朝6時前でした。私もまだ目が覚めておらず、事件を知ったのはテレビをつけた7時頃、事件発生から1時間以上が経っていました。夜10時頃だった日本の方が、事件の経過をリアルタイムで見ていた人が多かったのではないでしょうか。私の会社の同僚にも日本の家族からの電話で起こされて事件を知ったというのもいます。

事件後すぐに全米の空港が閉鎖となり、数週間前からこちらに来ていてまさに当日、日本へ帰国する予定だった私の会社の社長も、約1週間足止めをくらうことになりました。私の会社のすぐそばにはロングビーチ空港がありますが、飛行機の轟音も全くなくなり不気味なくらいの静けさが数日続きました。LAダウンタウンの高層ビルやテーマパークなども閉鎖となり、前日からアナハイムで行われていたマリナーズとの試合も早々と中止が決定しました。私はその前日、会社の同僚を連れだって試合を観に行きましたが、日本からの観光客が何台ものバスを連ねてやって来ていました。彼らもしばらくは、日本へ帰ることも他の何処へ行くこともできなかったのではないでしょうか。

事件から日が経つにつれ、テレビは事件そのものの報道から犠牲者への追悼の色が濃くなりました。その週の金曜日、ワシントンDCのナショナルカテドラルで行われた "Day of Prayer and Remembrance"の式がテレビで中継され、私の会社でもこの放送を全員で観ていました。普段賑やかな米国人メンバー達が、約1時間半の式の生放送を立ったまま一言も喋らずに見つめていました。この国に暮らす多種多様な人々が精神を一つにするシーンを見た思いでした。そしてその統一の証としてのアメリカの国旗がこれほど街中に溢れかえったことも近年なかったのではないでしょうか。

通りの街灯には国旗が並び、多くの民家が軒先に国旗を掲げ、車は窓やアンテナにつけた国旗をなびかせて走っています。店では早々と国旗が売り切れとなりましたが、すぐに国旗を売る露店が登場しました。フリーウェイの電光ビルボードは、国旗と"USA""GOD BLESS AMERICA"の文字を繰り返し映し出しています。アリゾナの野球場では2500人が人文字の国旗をつくり、スタンドを赤青白の色彩で埋めた球場もありました。CNNは画面左下に国旗をはためかせながらテロに関するニュースを伝え、画面端に常時表示されているMTVのロゴやNBCの孔雀マークは星条旗柄となりました。

事件後初めての日曜日、私はオレンジカウンティにあるクリスタルカテドラルのミサへ行ってみました。ガラスに覆われた近代的な建物の入口には、既に中に入れなかった人々がたくさん群がって中の様子をうかがっていました。国旗を持っている人だけでなく、星条旗柄のネクタイをしている人、国旗をあしらったイヤリングをしている人、赤青白の縦縞のシャツを着た人、赤青白のリボンを胸につけた人、そしてステージに登場したピアニストは白いジャケットに赤いシャツ、青いズボンといった出で立ちでした。ミサの最後は、舞台の袖から十数人の子供達が丸められた巨大な国旗を抱えて登場し、天井からは長い長いバーが静かに降りてきました。大きなアトリウム空間にゆっくりと掲揚されていく大星条旗は短辺でも数十メートルはありました。星の一つ一つストライプの一本一本が人間の大きさと対比でき、その巨大さにあちこちから溜息が漏れました。

星条旗が家や車にはためいている光景を見るにつけ、国と個人という関係をこれほど強く意識している国民は他にいないのではないかという気がしてきます。また星条旗を旗としてだけでなく、衣類やアクセサリーとして思い思いに身にまとう人々を見ていると、星条旗が決して厳粛な場だけでなく、とても身近に親しまれている存在であることも強く感じられます。肌の色も文化も宗教も異なる人々が集ってできあがっているこの国で、星条旗は国としての一体感を表現し感じ取る唯一の媒体なのかもしれません。