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Vol. 11 ゴミ
朝、アパートにやってくるゴミ回収車の作業は何とも豪快かつ単純です。アパートのゴミ収集所に置かれたゴミ山盛りの大きな鉄製のコンテナを納屋から引き出して車を正面からつけ、電動で上下するアームでコンテナの両端を掴んで抱えあげ、そのまま巴投げのようにしてコンテナの中のゴミをトラックの荷台に放り込むのです。脇に一つ二つとこぼれ落ちるゴミ袋を運転手が拾って荷台に放り投げ、コンテナを元に戻して作業終了。作業員は運転手一人だけ。数人の作業員がノロノロ運転のゴミ回収車の後を追っかけながら、ゴミ袋一つ一つをつかんでは投げ入れる東京のゴミ回収とは随分違う風景です。
アメリカはゴミ問題に関しては紛れもなく後進国です。常にエクストリームな法制をひくここカリフォルニア州は、ゴミの大幅削減を州内の自治体に義務づけ常にその状況を監視するなど、ゴミ問題についても米国内で先駆的存在と言われます。しかし日本から来ると、そのカリファリニアにいても消費文化の凄まじさに圧倒され、リサイクル意識のかけらも感じられないのです。
キッチンではペーパータオルが旺盛に使われ、店舗や公共施設のトイレではどんなところでもペーパータオルが必ず設置されていて、ハンカチなんて持っている人はいないように思えます。映画「ユー・ガット・メール」でメグ・ライアンが、くしゃみをした女の子にハンカチを差し出したら「それ何?」と対応されるシーンがありましたが、こちらのペーパータオル文化を目の当たりにすると、子供がハンカチの存在を知らないのも納得です。
ファストフード店で“TO GO”にすると、小型パックに入ったケチャップを片手でわしづかみにして袋に放り込まれます。結局余って捨てることになっても、足りなくなったときの方が問題であり、常に多め多めがこの国の標準なのです。ペーパーナプキンも取り放題。空寸いっぱいのプラスチックボックスや特大のドリンクカップもゴミ袋をすぐに膨らませる要因です。
スーパーマーケットに並んでいるモノを眺めていると、何でこんなに種類や量が豊富で供給過多にならないのだろうと不思議です。新しい商品はついつい興味を覚えて手を出してしまいそうになりますが、ほとんどが生活に定着しなさそうなものばかり。結局使い切らずにゴミ箱行きとなることが容易に想像できます。ショッピングカートを山盛りにしているアメリカ人の買い物を見ていると、本当にあれが全部きちんと使われているのだろうかと疑問になります。買い物の頻度が少ない分、あれもこれもと買ってしまって使わず終いのものも少なくないはず。比較的物価が安く、持ち運びもカートから車、家ではスーパーヘビー級の冷蔵庫が大口を開けて待っている。買い込むことに躊躇する理由はないのです。
そして捨てることにも躊躇がいりません。ファストフード店には当然、量販店や公共施設、そして路上にもあちこちに大きなゴミ箱が設置されていて、外出していてもゴミを捨てることに困らないのです。さらに分別なきゴミ箱が捨てることに対するストレスをまるで無くしていると言えます。私のアパートも会社も大きなゴミ用コンテナが納屋に設置されていて、燃えるゴミ、生ゴミ、プラスチック、金属、その他何でも一つのコンテナに入れてしまうのです。地域によってはリサイクル資源とゴミとを分けて回収を行うところもありますが、この場合でも、すべてのリサイクル資源が1種類の容器に入れられるのです。段ボールも缶もガラス瓶もペットボトルも一緒。結局、回収後、業者の手によって分別されるのです。利便性が追求されきったアメリカの社会では、生活者に分別させるなんてことは始めからあきらめられているのです。
そして捨てることに躊躇がない理由の根本には、ゴミの最終的な行き先に対する意識の薄さがあるように思います。飛行機から見下ろすと人の住んでいない広大な土地をあちこちで見ることができるこの国。ゴミがこの広大な土地のどこかに埋められると思えば、身近な問題として認識することは期待しにくいのです。しかし、いくら広大と言えども埋め立て地にも限りがあるわけで、ロサンゼルスカウンティ内では10年後には埋め立て地が無くなってしまうという予測もあります。ちなみにカリフォルニアには焼却施設が極端に少なく、ほとんどが埋め立てに回されます。昨年のCNNのレポートで全米中のスモッグ都市ワースト10にカリフォルニアの6都市が名前を連ねておりましたが(もちろん1位はロサンゼルス)、こうした大気汚染に拍車をかけることへの懸念、焼却施設建設に対する厳しい建設規制による莫大な運営コストなどが理由のようです。
昨年、日本に帰国した際、空港で飲んだ飲料のペットボトルを捨てようとして、いくつもに分別されているゴミ箱、というか資源回収箱を前にして、一瞬面倒臭さを感じてしまった自分に気付きました。しばらくこちらで暮らしているうちにだんだんゴミに対する意識が薄れつつあるかもしれません。環境は人をつくり、人を変えてしまいます。最終的に日本に帰国して、さらに厳しくなっているであろう日本のリサイクルに直ちに馴染めるか心配になってきました。
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