Vol.20 Blackout 2003
ニューヨークに来て以来、私の身に降りかかった事件といえば、小さなところではアパートでのネズミ大発生事件、大きなところでは「史上最悪のテロ」といわれた9.11。そして今回新たに大事件が発生。「史上最悪の停電」のBlackout 2003、日本でいうところの「北米大停電」です。私はこの五年間で「史上最悪」を二回も経験したのです。
当日、私たちはいつものように、オフィスで音楽を流しながら仕事をしていました。すると突然曲がプツッと途切れ、また始まったので、「あれ今の何?」と思っていると音楽が再び消え、モニターがスーっと暗くなり天井の蛍光灯がチカチカして消えてしまいました。ヘッドフォンで自分のラジオを聞いていた向いの席のデザイナーの子が、「今電気が消える直前、ラジオでラジオ局が停電したっていってたよ」
「停電っていったって、どっからどこまで?マンハッタンの東側?それとも34丁目から下ってこと?」などとみんなでいいながらも、非常口をあけて外に出る支度をし始めると、エレベーターからは閉じ込められた人の叫び声。あ〜、今エレベーターに乗ってなくて、ラッキーだった。外に出ると、自分の車のラジオを大音響にして、みんなにニュースを知らせている人がいたので私達も耳を傾けると、何とカナダから東海岸一体が停電とのこと。ボー然とする私達の隣ではうちの社長が、「1977年の停電は、三日間続いたんだよな...」などと不吉なことを口走るではありませんか。やめてくれ〜。
うちの社長はニューヨーカーなのでさすがにこういう時の状況判断は早く、とりあえずニュージャージーからの通勤者を彼の車でバスが乗れる地点まで送って行き、そのあとマンハッタン住まいの私をアパートの近くまで送ってくれました。あたりまえですが信号がないため、既に路上は大混乱。なのに警官の姿がどこにもありません。
「何でポリスがいないんだ」
「きっと地下鉄に閉じ込められた人や、トンネルや橋で立ち往生している車の整理で、ここまで手がまわらないのかも」
「コラッ、車を通せ、そこの男ッ。後ろにたっくさんつながってるんだぞッ。お前は『協調性』という言葉を知らんのかーーー!」
ハンドルを握りながら、これまたニューヨーカーらしくキレまくるうちの社長。見るに見かねて、自ら交通整理を始める歩行者もいました。これは私が常々アメリカ人の良いところだと思っているのですが、この交通整理の人にしろ、さっきのカーラジオの人にしろ、アメリカ人というのはボランティア精神に溢れていて、9.11でもそうでしたが、非常時には自分のできることを見つけ、さっと行動に移すのです。あるレストランでは、「どうせ腐るんだから、腐る前に料理してみんなに配っちまえ」とばかりに、路上で無料の料理をふるまってくれました。
やっとアパートに着くと、予想通りみんな外に椅子を出してビールを飲んでいます。「あなたも座ったら?」と勧められて座って家路につく人たちを見ると、ピザとビールを抱える人がたくさん。「やることはないし暑いし、せめてゆっくりするか」といったところでしょう。バーはビールや冷たいドリンクを飲む人たちで超満員。だれかが部屋から持ってきたラジオを聞いていると、ニューヨーク市長が「日没までには解決させる」というので、私たちはカウントダウンを開始。しかし当然、日は暮れるが電気はこない。
「なんだよ、市長の嘘つき〜」
「あれっ、みんな空見てみなよ。星が出てるよ」
暗い空にはいくつもの星が瞬いています。
「すご〜い、マンハッタンでこんなに星が見えるなんて」
そのうち今度はだれかがキャンドルを持ってきました。たくさんのキャンドルを灯して、なおもラジオに耳を傾けていると誰かがポツリと、
「なんか、死んだ人を追悼してるみたいだよね」
といったので、一同大爆笑。結局、「明日はいつもの日常に戻る」という市長の言葉を信じて、部屋に戻りました。
が、次の朝、予想通り電気はナシ。廊下で同じフロアに住む人と、情報交換をかねて立ち話をしていると、ここに長く住んでいるという人が、「みんなうちでお茶でも飲んで」というので、彼女のお部屋へお邪魔しました。とにかく何も出来ないので、お茶を飲みながら雑談。可哀想だったのは水槽で魚を飼っている人たちで、誰かが「水槽の水をペットボトルに入れてシェイクして水槽にもどすと、酸欠が防げる」などというので(本当なんでしょうか?)、取り憑かれたように水をシェイクしていました。他にすることのない私達は、お宅訪問をしたり、一緒にセントラルパークに散歩にいったり。こうして、普段あまり顔をあわせることのなかった、他の部屋の人との間にコミュニケーションが生まれ、以来御近所さん達とは互いの部屋を行き来する仲良しになっております。
セントラルパークからの帰り道、アップタウンやミッドタウンはほとんど電気がもどっていましたが、私達が住んでいる周辺はまだ。ニュースによると、この時点でマンハッタンで復旧されていないのは、14丁目から34丁目の間だけだということ。つまり26丁目の私達の地域はビリ。
そのうち、「ねえ、うちの冷蔵庫にある鶏肉、腐る前に料理するから食べてよ」と夕飯を作ってくれる人もいて、料理を食べながら待つことさらに一時間。誰かが「ああ、もう7時15分だよ〜」と嘆いた瞬間、パッと電気がつきました。一瞬言葉を失いましたが、次の瞬間「やったーバンザ〜イ!」「電気だ電気だ!」思わずみんな抱き合って大喜び。外からも、ものすごい拍手と歓声。
電車に乗れなかったり、ホテルにチェックイン出来なくて、公園で夜を過ごした方にはお気の毒でしたが、私のBlackout 2003は、このようにかなり淡々とお気楽に過ぎました。これはマンハッタンという、職場から徒歩で帰れるところに私が住んでいて(こういいう時のために、高い家賃を払っているのだ)、また住んでいるビルが高層でなかったため、エレベーターが動かなくても階段で何とか行き来できたおかげです。幸いなことにここのビルでは断水の心配もなく、お湯が出なくなったとか、三階から上はトイレの流れが一時的に悪くなったという不便はありましたが、パニックもなく終わりました。
それに加え、私にとってアパートが24時間以上停電するというのは、これが初めてでないのです。四年前、当時住んでいたビレッジのアパートで、ある朝トースターとコーヒーメーカーを一緒に使ったら、ヒューズ(だったんです、いまだに)がバチンととんで、そのまま部屋が真っ暗。不運にもそのビルのメインのヒューズボックスは地下にあって、ビルの管理人しかその地下のドアをあけられなく、おまけにその管理人と連絡がとれなかったので、その日の夜はろうそくで過ごしました。さすがに次の日は友人宅で過ごし、三日目にやっと管理人と連絡がつきましたが、冷蔵庫の物は全て腐ってしまいました。しかしこのプチブラックアウト体験から、懐中電灯とろうそくは常備していたので、今回も慌てず騒がず対処。まったくもって、人を鍛えてくれる街であります。
(2003年9月) |