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Vol.22 レイチェルのバースデー

去年おきた北米大停電のおかげで、同じビルに住む御近所さんと仲良しになれた私ですが、ここはもともと住民同士の交流が活発な、不思議なアパートです。夜ぼーっと部屋にいると人が尋ねて来たり、廊下や道で会うと挨拶してお互いの近況を報告。新しく引っ越して来た人がいると、「私達のビルにようこそ」と進んで自己紹介したりもします。「珍しいよねそういうの、今時のニューヨークで」と、私の友人もいいます。もっともかたくなに扉を閉ざし、会っても知らん顔の人もいますが、私の住んでいる二階は、皆が普通に挨拶したり廊下で立ち話したり、時には「卵貸してくれる?」などと隣人が来る、東京の下町状態です。そのうえこの階には、ここで一番有名な御夫妻も住んでいます。

93歳のレイチェルと92歳のエラは、1943年からこの同じアパートで仲良く暮らしている、とっても微笑ましいお爺ちゃんとお婆ちゃん。御主人のエラはハンガリーからの移民ですが、奥さんのレイチェルはニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ち。エラはつい最近病気が発見されて、入退院をくり返していますが、レイチェルは元気いっぱい。何でもエラのお見舞いに病院にいったら、杖もつかずにバスに乗ってくる彼女に、ドクター達が驚いたそう。お酒も好きで、私達と一緒にワインやカクテルを楽しみ、時にはたばこだって吸っちゃう。

レイチェルの両親は元々はロシア人で、1907年、ロシアからニューヨークに移民して来ました。彼女が生まれたのは4年後の1911年2月8日。大家族で彼女は11人兄妹の七番目、おまけにお父さんには奥さんが二人もいました。
「変かもしれないけど、皆仲よくてとっても良い家族だったの。自分のお母さんのことはママって呼んでいて、もう一人の奥さんのことは名前で呼んでいてね。とにかく家族が多かったから、おっきな家に住んでたの。確か三階建で、ベッドルームが15部屋くらいあったんじゃないかしら」
「でも、そんなことって許されてたわけ?」と驚く私。
「う〜ん、さあ、大昔のことだからね」
そりゃそうだ。御両親が結婚したのは1800年代だし、まあその当時のロシアだったら、そんなこともあったかも。

その大きな家も大恐慌で失ってしまったそうですが、その後23歳でエラと結婚。1943年にここに引っ越して来た時の家賃は、たったの55ドル。エラはこのアパートから戦争にいき、無事ここにもどって来ました。夫が兵隊に取られている間は、同じ境遇の女性五人で共同生活をしたこともあったそう。

エラはアーティストで、部屋には彼の作った彫刻やペインティングがたくさんあります。レイチェルは若いころから定年退職するまで、ごく普通の会社員でしたが、会社を辞めたのをきっかけにレリーフを作るようになり、今ではエラと負けないくらいたくさんの作品があります。
「皆に『レイチェルはアーティストだよね』っていわれるんだけど、会社員生活が長かったし、アートの勉強なんかしたことないし、そういわれてもピンとこないのよね。退職して時間ができて、始めただけだから」
材料は道に落ちていた廃材で、モチーフは赤ちゃんを抱いたお母さんというような、とっても優しい作品です。サイズは、こんな小さなお婆ちゃんが作ったとは信じられないほど大きい。

三年前の90歳の誕生日には、この階の住人が大パーティーを企画し、ビル中の人がお祝に来たそうです。今年の93歳の誕生日の朝、私もちょっとしたプレゼントを持って行きましたが、部屋の前にはすでに誰かがおいていったギフトと花束が。
「95歳には、また大きなパーティーをしてくれるっていわれているから、それまではまだまだ元気でいないと」というレイチェルは、今日も近所のスーパーで、元気でフツーに買い物などしています。

(2004年5月)