Vol.39 Mr. Peeler
いつも見かけていた人が急にいなくなるというのは、妙なものです。たとえそれが、全く知らない人であっても。
私は毎朝NY1という、ニューヨークのローカルテレビ局を見ています。10分ごとに今日の天気を知らせてくれ、またその日のローカルイベント情報などもあり、なかなか便利です。今年二月の朝、ある訃報が告げられました。亡くなったのはユニオンスクエアで長年にわたり、野菜の皮むき器を売っていた、ジョー・エイズ氏。その個性的なパフォーマンスとでかい声で、なかなかに知られたじいさんでした。幾度となく見かけてきたのに、実は私はこのニュースを聞くまで、彼の名前すら知らなかったのです。
ユニオンスクエアには月水金土と、週四日グリーンマーケットがでます。私は六年半、ここに歩いていかれる距離にあるアパートに住んでいたので、週二回くらいの割で、野菜・果物また花を買いに行っていました。夏は山積みにされたトマトやバジル、秋になるとぶどう、冬が近くなればリンゴや様々な色・形のポテトが列び、5月にはライラックの花が売られる。それらは見ているだけでも楽しく、まさに都会のオアシス。そして気分はお洒落なパリのマルシェ。


そんなお洒落でほのぼのとした空気をブチ壊す、ほとんどヤケッパチ、それでいて見る人々を洗脳するような、じいさんのパフォーマンス。
http://www.youtube.com/watch?v=HCUct4NlxE0&feature=related
夏の炎天下などは、じいさんの周りだけ気温が5℃くらい上昇してるようにも見え、私は結局その迫力に押され、そばに寄って見ることはありませんでした。
「しかし、こんな一個5ドルの皮むき器だけで(じいさんは他のものは売っていなかった)、この人は生活していけるのか?それにこんな暑さの中、パフォーマンス中に血圧が上がり、病院に運ばれても、保険はあるのかしら?」と、密かに心配はしていましたが。
彼は私が思っていた以上に有名だったようで、なんとユニオンスクエアでは追悼式まで行われた模様。コンピュータで検索してみると、じいさんの死を悼む様々な声が。
「うそーーーーー」
「私は買った皮むき器、愛用してます。悲しい!」
「なんだ、生きているうちに買うんだった」
「私の娘はもう何年も、この皮むき器しか使ってません」
「今夜は彼の死を悼み、この皮むき器を使ってビーフシチューをつくります」
「ジョーを思い出しながら、今日はこれで人参の皮をむくぞ!」
そして亡くなって初めて知った、その華麗な人生...じいさんはイギリス出身。ユニオンスクエアだけでなく、何か所かであの熱血パフォーマンスを行い、私などが心配しなくても皮むき器は売れ、たくさんの人に愛され、そしてあんなみすぼらしいスーツを着ていながら「パークアベニュー」に住み、恋をしまくり(結婚四回!)、毎晩ホテルピエールで、シャンペンをあけていたらしい。
(なんだよじじい、上等な人生じゃねえか...)
それにしても一回くらい勇気を出して、あのパフォーマンスに近づいて皮むき器を買い、じいさんと一言二言、言葉を交わすんだった。
今年の春、久しぶりにグリーンマーケットに行きました。「じいさんがいないなんて、やっぱり寂しいよね」と、少々センチメンタルになっていた私が見たものは...驚いたことに、じいさんの意志を継ぎ、皮むき器を売っている女性がいるではありませんか!なんとじいさんは代役まで用意して、天国に旅立ったのでした。
「あの、失礼ですが、ご家族?」とたずねると、お嬢さんだそう。というわけでじいさんの皮むき器、引き続きユニオンスクエアにて購入可能です。ニューヨーク土産にいかがでしょうか?ただしスイス製ですけど。

(2009年7月) |